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ものづくりへの思い

ichiのものづくりへの思いを少しお話しようと思います。

1999年、一人一台携帯電話を持ち、パソコンが家にあることが珍しくなくなってきた頃、ichiは始まりました。世の中には便利なもの、デジタルなものが溢れ、効率の悪いものは価値が無いかのような扱いを受けていた時代のようにも思います。

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それはもちろん身飾品の間でもそうでした。銀製品であれば鋳造(ちゅうぞう)、革製品であれば外国製の量産というのが、時代の潮流。早くたくさんの物を生み出すことができ、めまぐるしく移り変わる流行に素早くフィットすることがこの時代の大きな価値でした。

そのスピードについていけず、ひとつひとつお客様のご要望を伺って造るという手法を変えられず、身の丈に合ったやり方と思いやってきた結果としての今があります。

さまざまなジレンマがありながら「早くたくさん作ること」はすなわち造り手と使い手の距離を遠ざけてしまうことなのだといつしか気づきました。その良さも知りながら、使い手であるお客様より直接お声をかけていただける環境に育てていただいた我々であることは間違いのない事実です。

その育てていただいたという想いが今も変わらず同じ手仕事というやり方を続けられている原動力となっています。それはジレンマを乗り越えて手にしたichiの財産となりました。

一つ一つを手で造るための素材選びは、自然由来のもの、長い使用に耐えうるもの、風合いのナチュラルなもの、素材自体が生産者のこだわりによって生まれているもの。そんな価値観が自ずとichiには根付きました。その素材の中でしっくりきたものを実際に使用し変化を観察し、本当に良い素材だと思えたものだけを製品にするようになりました。

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その過程において、自然由来であるがゆえに均一性の求められない素材と向き合うことで、そのものの特性を活かすことを学びました。素材を見る目が鍛えられました。それは実際にその素材と向き合う職人がデザインもするひとつの効能であると感じています。

手作業に執着する理由のもう一つに造り手としての責任を持ちたいという想いがあります。ひとつひとつの製品に責任を持てなければ、それを販売することは出来ません。これは当然のこと。ただ、そうするには、すべての使用素材、すべての製作工程がわかっていて、構造を理解しそのもの自身が使用していく中でどのように変化を遂げていくのかを経験していなければなりません。自分たちの手で造り上げるものだけが、まさに「責任の持てるもの」だったのです。すべてのものに対し造り手の顔が見えるということが、お客様にとってどれだけの価値となるかは様々ですが、『手造り』は責任を持って造りますという我々の意思表示でもあるのです。

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家の中であたりを見渡した時に、造り手の顔が思い浮かぶものが一つでもあれば、それはとても幸せなことだと思います。それは気に入ったからそこに置かれていて、その佇まいは自分の生活にすっと馴染みます。造り手を知っているということが、そのものとの距離をぐっと近づけ、そのもの達に囲まれて生きていけることの素晴らしさは、多くの人がその醍醐味を語っているように、とても豊かな人生だと思えるのです。

すべてのものにはそこに存在する意味があり、その意味が自分の意志と繋がった時に初めてそのものの存在意義が開花すると考えると、ひとつひとつが愛おしく思えてしまいます。

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ものをつくることが好きな人も、なかなか機会に恵まれなかったことで、ものをつくるということから縁遠くなってしまった人も、部屋の中に一つでもとっておきのお気に入りを加えるために、ものづくりにトライしてみてはいかがでしょう。それはきっと、ひとつひとつお気に入りを増やしていく人生の楽しみになるとichiは思うのです。